昔々ある海に、二匹の小さな魚がいました。一匹は小さな白い魚で、もう一匹は小さな青い魚でした。白い魚と青い魚はとても仲良しでした。二匹は同じ家に住み、一緒にご飯を食べ、一緒に眠りました。二匹はいつも一緒でした。
ところが、あるとき、暗くて深い海の底から黒い大きな魚がやってきて、小さな白い魚をさらって行ってしまいました。小さな青い魚は、大きな黒い魚を追いかけました。しかし、大きな黒い魚は、小さな青い魚が追いつけないほどビュンビュンと進み、とうとう、見えないほど遠くまで泳いで行ってしまいました。青い魚は取り残されて、ひとりぼっちになってしまいました。青い魚は泣きました。そして、白い魚と一緒に暮らした家に戻って、また泣きました。朝も、夜も、何日も、何日も、泣きました。そうして、あんまり泣き過ぎたので、ついに、青い魚の片方の目が、ぽろりとこぼれて床に落ちてしまいました。青い魚は、そのこぼれた目を拾いました。そして、元通りに自分の顔にはめこみました。
すると、不思議なことに、その目は何でも良く見えるようになっていました。じっと前を見つめていると、家の壁が透き通り、壁の向こうが見えました。壁の向こうにある、ゆらゆらゆれる長い海草の森も、じっと見ていると透き通ってきて、向こう側にたくさんの大きな岩が見えました。その大きな岩も、じっと見ていると、透き通って、向こう側には、暗くて深い海の底が見えました。青い魚は言いました。
「あの海の底に、白い魚がいるかもしれない。」
そしてその海の底をじっと見ていると、真っ暗な闇の中に、真っ黒な岩でできた家があるのが見えました。そしてその家の中に、黒い大きな魚がいるのが見えました。そして、家の隅っこで、白い魚が泣いているのが見えました。ところが、ここまで見えたとき、青い魚の目は、もとに戻ってしまいました。いくら目をこらしても、家の壁しか見えませんでした。
青い魚は家の外に出ると、ぐんぐん泳ぎ出しました。ゆらゆらゆれる長い海草の森の、長い海草の狭い隙間を、小さな身体で一生懸命泳いで進みました。海草の森を抜けると、こんどは数えきれないくらいたくさんの、大きな岩がありました。青い魚は大きな岩の間を一生懸命に泳ぎました。そして、とうとう岩の間を泳ぎきりました。すると、目の前に、暗くて深い海の底が広がっていました。すぐに、キーンと冷たい水が、青い魚の身体を包みました。青い魚はぶるぶるとふるえました。海の底はほんとうにまっくらで、右を向いても、左を向いても、前を向いても、何にも見えませんでした。青い魚は、どちらへ泳いでいけばよいのかわかりませんでした。すると、かすかに、何かが聞こえます。青い魚は耳を澄ませました。すると、かすかに聞こえているものは、白い魚の声でした。白い魚が、黒い魚の家で泣いている声でした。青い魚は耳を澄ませながら、声のする方へ静かに泳ぎました。あたりはまっくらで、どのくらい進んだのかわかりませんでしたが、青い魚は一生懸命に声のする方に向かって泳ぎつづけました。どんどん、どんどん、青い魚は泳ぎました。そのうちに、青い魚は、もうどれくらい長い間泳いでいるのかわからなくなって、だんだん寂しくなりました。そして、目からぽろぽろと涙をこぼしました。
そのとき、誰かが青い魚に言いました。
「おい、小さな青い魚、おまえはいったいどこへいくつもりだ?」
青い魚は辺りを見回しましたが、真っ暗で何も見えませんでした。すると、下のほうに、ぼんやりと小さなあかりが灯りました。そのあかりは、チョウチンアンコウのあかりでした。チョウチンアンコウは、また言いました。
「私の頭の上に涙をこぼしたのは、小さな青い魚、おまえだろう? こんなところをうろうろして、いったいどこへいくつもりだ?」
青い魚は言いました。
「ぼくは、大きな黒い魚の家にいる、白い魚を助けに行くんです。」
チョウチンアンコウはそれを聞くと、言いました。
「それは難しいことだ。あの家は真っ暗で、黒い魚も真っ黒だ。黒い魚がおまえを見つけて、大きな口をあけて吸い込んだら、おまえは一気に黒い魚の胃袋の中だ。やめておけ、やめておけ。」
青い魚は言いました。
「でも、チョウチンアンコウさん。ぼくは白い魚がいなかったら、一日だって生きていられないのです。」
チョウチンアンコウは言いました。
「それなら仕方がない、気を付けて行くがいい。そうだ、おまえにわたしの提灯を貸してやってもいいぞ。ただし、かならずここへ戻ってきて、その提灯を私に返してくれると約束してくれるならね。」
チョウチンアンコウは青い魚をじっと見ました。青い魚は、言いました。
「貸してください、その提灯を。ぼくはかならず戻ってきますから。」
そして、青い魚は、チョウチンアンコウから小さな提灯を借りると、またそろそろと泳ぎ出しました。でもやっぱりあたりは真っ暗で、提灯のまわりのほんの少しのところだけが、ぼんやりと柔らかなあかりに包まれていました。
青い魚が泳ぎつづけていると、鼻先が、コツン、と何かにぶつかりました。青い魚は小さな提灯で、鼻先にあるものをてらしてみました。すると、それは黒い岩でした。黒い岩でできた、黒い魚の家でした。ついに、深い海の底の、大きな黒い魚の家にやって来たのです。そしてこの家の中には、小さな白い魚がいるのです。青い魚が耳を澄ますと、白い魚の泣き声が聞こえます。青い魚は泣き声がよく聞こえる方へ、静かに泳いでいきました。すると、ごつごつした大きな扉の隙間から、白い魚の姿が見えました。白い魚は泣いていました。そして、白い魚の向こうでは、大きな黒い魚が、ぐびぐびとお酒を呑んで、ひどく酔っぱらっていました。そして時々、テーブルを蹴ったり、物を壁に投げつけたりしていました。青い魚は、黒い魚に見つからないように、小さな声で、扉の隙間から、中にいる白い魚を呼びました。白い魚は青い魚に気がつくと、おどろいて、でも、黒い魚に気付かれないように、扉の隙間から、小さな声で言いました。
「ああ、来てくれたんだね、青い魚。ぼくはもうきみに会えないのだと思って、泣くのをがまんできなかったんだ。」
青い魚は言いました。
「白い魚、きみの泣き声が聞こえたから、ぼくはここへ来ることができたんだよ。さて、きみがこの家の外に出るにはどうしたらいい?」
白い魚は少し考えました。そして、言いました。
「よし。ぼくがなんとかして、この扉の掛け金をはずすから、そうしたらきみは黒い魚に姿を見せるんだ。でも、黒い魚がきみを見つけたら、すぐにきみは脇へ逃げなくてはいけない。そうでなければ、黒い魚は一瞬のうちにきみを吸い込んでしまうからね。」
青い魚は扉の隙間から、中の様子をじっと見ていました。白い魚は、今までと同じように泣き声を出しながら、扉の掛け金をはずそうと、掛け金を尻尾でたたいたり、泳いで掛け金にぶつかったりしました。でも掛け金はとても頑丈で、小さな魚がいくら頑張っても、ちっともはずれませんでした。そのうちに、大きな黒い魚が、小さな白い魚の様子がおかしいのに気がつきました。さっきまでは隅っこでただ泣いていたのに、今は、泣きまねをしながら扉の掛け金にポチンポチンとぶつかっています。黒い魚は言いました。
「おい、何をしているんだ。おとなしくしていないとひどいめにあわせるぞ。」
白い魚はあわてて黒い魚に言いました。
「背中がかゆくなったので、こうして掛け金にぶつかって背中をかいているんです。」
黒い魚は、つまらなそうにまたお酒を呑み始めました。白い魚は、また掛け金にぶつかりました。すると、黒い魚はまた言いました。
「おい、おとなしくしていないと本当にひどいめにあわせるぞ。」
白い魚はまた言いました。
「でも、まだ背中がかゆいんです。」
黒い魚は、またつまらなそうにお酒を呑み始めました。白い魚はまた掛け金にぶつかりました。黒い魚は少しの間仕方なさそうに白い魚を見ていました。しかし、白い魚と掛け金を見ているうちに、掛け金のかかった扉の隙間から、提灯のあかりが見えるのに気がつきました。そして、提灯を持っている青い魚にも気がつきました。黒い魚は、恐ろしい声で言いました。
「おい、白い魚。おまえはここから逃げられないぞ。外にいるおまえの友達もおまえと一緒に食ってやる!」
そして、持っていた酒のびんを白い魚めがけて投げつけました。ところが、白い魚はすばやく身体をかわして逃げたので、酒のびんは掛け金に勢い良く当たって、ガシャンと割れました。そして、ビンが当たった掛け金も、ガチャン、とはずれました。そして、大きな岩の扉が、ギイイイイ、と開きました。
そのとき、青い魚は、すばやく黒い魚の前に躍り出ました。黒い魚は叫びました。
「おまえをおれの酒のつまみにしてやる!」
そして、黒い魚は、家よりも大きく口をあけました。しかし、そのときはもう、青い魚と白い魚はすばやく家の外へ泳ぎ出ていました。黒い魚はそれに気付かず、ゴオオオ、と水を吸い込みました。すると、ガシャンと割れた酒のびんや、はずれた掛け金や、それから大きな岩の扉や、壁や、屋根や、黒い岩でできた黒い家が、まるごと、黒い魚の大きな口の中に、ゴオオオ、と吸い込まれてしまいました。黒い魚は、自分の家をまるごと全部呑み込んでしまったので、おなかが重くて重くて、少しも動くことができなくなってしまいました。
青い魚と白い魚は、仲良く泳いで、チョウチンアンコウのところへ戻ってきました。そして、チョウチンアンコウにおれいを言って、小さな提灯を返しました。それから、ゆっくり、ゆっくり、仲良く散歩をするように、一緒に泳いで家まで帰りました。今日もきっと、二匹は仲良く暮らしていますよ。おしまい。
2006.09.24