どこまでも、まよいみち

美人鏡(二)

隣町のお医者は、その不思議な話を聞いて、貧しい奥さんの様子を確かめたくなりました。そしてこっそり貧しい夫婦の家にやってきました。すると、貧しい奥さんは本当に元気に働いていました。お医者は、
「医者にもかかれず、薬も飲まなかったはずなのに、死にそうになっていた人間がどうしてあんなに元気になったのだろう。」
と思いました。すると貧しい奥さんは、働きながら、時々テーブルの上に置いた手鏡に手を伸ばし、自分の顔を映してみては、にっこりと微笑んで、満足そうに手鏡をテーブルの上に戻して、そして仕事を続けるのでした。お医者は、
「なるほど、あれが話に聞いた鏡だな。あの鏡を見ると、病気が治ってしまうのか。」
と思いました。そして、自分もその鏡を見てみたくなりました。このお医者は、顔に大きなあざがあり、そのあざを消すことができなくて悩んでいました。だから、鏡を見れば自分の顔のあざも治るかもしれない、と思ったのです。お医者は、とんとん、とドアを叩きました。すると、貧しい奥さんがドアをあけました。お医者は言いました。
「やあ奥さん、こんにちは。じつは先日、あんたの旦那さんに、あんたの病気を診てくれと頼まれましてな。こうして診察にやってきたのだが。」
すると貧しい奥さんは言いました。
「あら、それはわざわざどうもありがとうございます。でもうちには診てもらうためのお金がないのです。」
するとお医者は、
「いや、なに、鏡を見せてくれれば、お金などいりませんよ。」
と言って、家に上がり込みました。そして、まっすぐテーブルのところへ行くと、手鏡をとって、自分の顔を映してみました。そこには、お医者の顔が映っていました。それから、お医者の顔のあざも、ちゃんと映っていました。お医者は貧しい奥さんに聞きました。
「奥さん、この鏡は、病気が治る鏡ではないのかね?」
すると貧しい奥さんは、
「いいえ、それはお見舞いにいただいた、ただの手鏡ですわ。」
と答えました。お医者は、
「しかし、あんたは、この鏡を見て病気が治ったのだろう?」
とまた聞きました。貧しい奥さんは、
「ええ、だって、自分の顔がこんなに美しいなんて、その鏡を見るまで知らなかったんですもの。嬉しくて嬉しくて、病気などすぐに治ってしまったわ。」
と言いました。お医者はそれを聞いて、ぎょっとしました。貧しい奥さんの顔は、けっして美しくはありませんでした。病気でやせ細った、骸骨のような顔のままだったのです。貧しい奥さんは手鏡をとると、また自分の顔を映してにっこりしました。そしてお医者のそばへ来て、自分の顔を鏡に映してお医者に見せて、言いました。
「ほら、私、とても美人でしょう?」
しかしお医者には、美人の姿などどこにもみつけられませんでした。ただ、やせ細った骸骨のような貧しい奥さんと、その奥さんが映った鏡があるだけでした。恐ろしくなったお医者はギャアッと悲鳴をあげると、急いで逃げ帰って行きました。

さて、隣町の薬屋の娘は、貧しい奥さんが鏡を見て美人になったという話を聞いて、自分もその鏡を見てみたくなりました。そして薬屋に頼み込み、貧しい夫婦の家に連れて行ってもらうことにしました。薬屋は一番安い胃薬をちょっぴり包んでふところに入れ、娘を連れて出かけました。来る途中でお医者に会ったので、薬屋は
「貧しい奥さんの話を聞いたかい?」
とたずねましたが、お医者はギャアッと悲鳴をあげながら走って行ってしまいました。薬屋と娘が貧しい夫婦の家につくと、貧しい奥さんは元気に歌を歌いながら働いていました。そして時々テーブルの上に置いた手鏡に手を伸ばし、自分の顔を映してみては、にっこりと微笑んで、満足そうに手鏡をテーブルの上に戻して、そして仕事を続けるのでした。薬屋はその元気ぶりに驚きましたが、薬屋の娘はつまらなそうに言いました。
「なんだ、ちっとも美人になっていないじゃないの。」
すると貧しい奥さんが、家の外にいる薬屋と娘を見つけました。そしてドアを開けて言いました。
「あら、こんにちは。何かご用ですか?」
薬屋は、
「やあ奥さん、こんにちは。じつは先日、あんたの旦那さんに、薬をわけてくれと頼まれましてな。ほら、こうして持ってきたのです。」
と言って、ふところから安い胃薬を出して見せました。すると貧しい奥さんは言いました。
「あら、それはわざわざどうもありがとうございます。でもうちにはお薬を買うためのお金がないのです。」
すると薬屋の娘が、
「お金なんかいらないわ、美人になれる鏡を見せてくれればね。」
と言って、家に上がり込みました。そしてまっすぐテーブルのところへ行くと、手鏡をとって、自分の顔を映してみました。そこには、薬屋の娘の顔が映っていました。薬屋の娘は貧しい奥さんに聞きました。
「ねえ、この鏡は美人になれる鏡じゃないの?」
すると貧しい奥さんは、
「いいえ、それはお見舞いにいただいた、ただの手鏡ですわ。」
と答えました。薬屋の娘はまた手鏡をのぞき込みましたが、やっぱり映っているのはいつも見ている自分の顔でした。薬屋の娘は言いました。
「まあいいわ。私はもともと世界一の美人なのだから、これ以上美人になれるはずがなかったのよ。ああ、つまらないわ。」
そして手鏡を貧しい奥さんに返すと、つんつんしながら家に帰って行きました。薬屋は胃薬を貧しい奥さんに渡すと、娘の後を追いかけて帰って行きました。

さてそのころ、隣町で一番のお金持ちのお屋敷の台所では、使用人たちが、町で聞いてきた不思議な出来事をおもしろおかしく話していました。使用人の一人が言いました。
「貧しい奥さんは死神に鏡をもらったそうだよ。貧しい奥さんがその鏡を見たら、自分の顔がすごい美人に見えるのでびっくりして、病気が治ってしまったそうだよ!」
するともう一人の使用人が言いました。
「お医者が貧しい奥さんの様子を見に行って、恐ろしい目に会ったそうだよ!」
するとまた別の使用人が言いました。
「薬屋の娘がその鏡を見て、自分はこの世で一番の美女だって言ったそうだよ!」
ちょうどそこをこのお屋敷の奥さんが通りかかり、この話を聞いてしまいました。そして、自分もどうしてもその鏡を見てみたくなりました。そして、お金持ちの旦那さんに頼み込んで、貧しい夫婦の家に連れて行ってもらうことにしました。お金持ちの旦那さんは、本当は死神の鏡など気味が悪くて見たくはなかったのですが、奥さんがあまり熱心に頼むので仕方なく、奥さんを連れて出かけました。お金持ちの夫婦が貧しい夫婦の家につくと、貧しい奥さんは元気に歌を歌いながら働いていました。そして時々テーブルの上に置いた手鏡に手を伸ばし、自分の顔を映してみては、にっこりと微笑んで、満足そうに手鏡をテーブルの上に戻して、そして仕事を続けるのでした。その元気ぶりにお金持ちの旦那さんは驚きました。お金持ちの奥さんは、どんどんとドアを叩いて言いました。
「奥さん、貧しい奥さん、早くここをあけてちょうだい!」
貧しい奥さんはドアを開けると言いました。
「あら、こんにちは。何かご用ですか?」
するとお金持ちの奥さんは、さっさと家に上がり込み、まっすぐテーブルのところへ行きました。そして手鏡をとって、自分の顔を映してみました。するとなんと、鏡の中のその顔は、今までに見たこともないような美人になっていました。お金持ちの奥さんは喜びのあまり叫び声をあげました。その声に驚いたお金持ちの旦那さんが飛んできて、奥さんの映っている鏡をのぞき込みました。しかし旦那さんの目には、鏡の中の奥さんの顔はいつも通りの奥さんの顔にしか見えませんでした。お金持ちの旦那さんは貧しい奥さんに聞きました。
「この鏡の中のうちの奥さんの顔は、間違いなくここに立っているうちの奥さんの顔と同じだと思うのだが、あんたはどう思う?」
すると貧しい奥さんは自分も鏡をのぞき込んで、
「はい、私にも、どちらも同じお顔に見えます。」
と答えました。そして続けて言いました。
「でも、この鏡に映っている私の顔は、今まで私が思っていた私の顔よりも、ずっとずっと美しく映っていますわ。」
これを聞いたお金持ち夫婦は驚いて、貧しい奥さんの顔と、鏡の中の貧しい奥さんの顔を見比べました。しかし、貧しい奥さんは骸骨のようにやせ細っていて、鏡の中の貧しい奥さんも同じでした。お金持ちの奥さんは気の毒そうに言いました。
「いやね、きっと貧しい奥さんは、自分の顔と私の顔を見間違えているんだわ。だって貧しい奥さんの顔はそのままだけれど、私の顔は見たこともないような美人に映っているのだもの。この美人は間違いなく私の顔よ!」
しかしお金持ちの旦那さんには、鏡の中の二人の奥さんのどちらも、鏡に映っていない奥さんの顔と同じにしか見えませんでした。でも二人の奥さんはどちらも
「自分の顔は美人に映っている」
と、真剣になって言うのです。お金持ちの旦那さんは、死神の鏡がとても良くないものに思えてきました。そして、急いで自分の奥さんから鏡を取り上げて貧しい奥さんに返すと、自分の奥さんの腕を引っぱって、お屋敷に帰って行きました。貧しい奥さんは二人が帰ってしまったあと、また手鏡に自分の顔を映してにっこりと微笑み、満足そうに手鏡をテーブルの上に戻して、仕事を続けました。

しかし、家に連れ戻されたお金持ちの奥さんは、あの鏡のことが忘れられませんでした。そして家中の鏡を片っ端からのぞいてみましたが、どの鏡にも、今まで通りの自分の顔しか映りませんでした。お金持ちの奥さんは、
「ああ、あの鏡の中の美しい私をもう一度見たい。私はもう、あの鏡以外は見たくないわ!」
と言って、お屋敷にあるお金を全部残らず大きな袋に入れると、それを持って貧しい奥さんのところへ走って行きました。そろそろ陽も傾いてきていました。貧しい奥さんは、時々手鏡を見て嬉しそうにしながら、夕飯の支度をしていました。するとそこへ、お金持ちの奥さんが、息を切らせて走ってきました。そして大きな袋いっぱいのお金を貧しい奥さんに押しつけると、言いました。
「私にあの鏡を売ってちょうだい。うちのお金を全部持ってきたわ、さあ早く鏡をちょうだい!」
貧しい奥さんはたくさんのお金を見て驚きましたが、すぐに言いました。
「いいえ、あれは私の鏡です。手放すのは嫌です。」
これを聞くと、お金持ちの奥さんは貧しい奥さんを突き飛ばして叫びました。
「あんたは病気になっても医者にも診てもらえないほどの貧乏人なんだよ! そんなあんたに、うちの全財産をやろうって言っているのに、いったい何が気に入らないんだ! この身の程知らずめ!」
そして貧しい奥さんから手鏡を奪い取って行ってしまいました。貧しい奥さんは、まるでこの世が終わったかのように気落ちして、そして台所の床に倒れて気を失ってしまいました。

2008.02.07

  背景画像:フリー素材 * ヒバナ