どこまでも、まよいみち

美人鏡(一)

昔々あるところに、たいへん貧しい村があり、たいへん貧しい夫婦が住んでいました。貧しい夫婦は一生懸命に働きましたが、なかなか暮らしはらくにならず、毎日ほんのわずかのお芋を夕ごはんにするのがやっとでした。貧しい村ではみんながそんなふうでした。そしてあるとき、気の毒なことに、この貧しい夫婦の奥さんが病気になってしまいました。ところが、この村にはお医者も薬屋もいなかったので、お金持ちばかりが住んでいる隣町まで行かなくてはなりませんでした。しかも、この家にはお医者に診てもらうためのお金がありませんでした。奥さんは
「大丈夫、休んでいればすぐに良くなるわよ。」
と言って、笑いました。

しかし、奥さんの病気は良くなるどころか、どんどん悪くなってやせ細っていきました。旦那さんは心配でたまらなくなり、隣町のお医者のところへ飛んで行きました。そして、
「どうか私の妻の病気を診てください、このままではきっと死んでしまいます。」
と、泣きながら頼みました。しかしお医者は
「お金がないのなら診てやるわけにはいかないね」
と言って、相手にしてくれませんでした。旦那さんはがっかりして家に帰り、家の中を見回しましたが、お金になりそうなものは何一つありませんでした。奥さんは言いました。
「そんなにがっかりしないで、今日もほら、お芋がちゃんとあるじゃないですか。元気を出して夕ごはんにしましょうよ、ご飯を食べればきっと具合も良くなるわ。」
旦那さんはお芋を料理するために、かまどに火を入れました。そしてお芋を料理して、二人で仲良く食べました。

次の日、奥さんは昨日より具合が悪くなりました。旦那さんは心配でたまらなくなり、隣町の薬屋へ飛んで行きました。そして、
「どうか私の妻に薬を分けてください、このままではきっと死んでしまいます」
と、泣きながら頼みました。しかし薬屋は
「お金がないのなら薬を分けてはやれないね」
と言って、相手にしてくれませんでした。旦那さんはがっかりして家に帰り、家の中を見回しましたが、お金になりそうなものは何一つありませんでした。奥さんは言いました。
「そんなにがっかりしないで、今日もほら、お芋がちゃんとあるじゃないですか。元気を出して夕ごはんにしましょうよ、ご飯を食べればきっと具合も良くなるわ。」
旦那さんはお芋を料理するために、かまどに火を入れました。そしてお芋を料理して、二人で仲良く食べました。

それから何日も旦那さんは奥さんを看病していましたが、奥さんの具合はますます悪くなり、まるで骸骨のようにやせてしまい、すぐにも死んでしまうのではないかと思えるほどでした。旦那さんはもう、どうしてよいかわからなくなりました。そして隣町で一番のお金持ちの家に飛んで行って、
「どうかお金を貸してください、このままでは私の妻が医者にもかかれずに死んでしまいます」
と泣きながら頼みました。しかしお金持ちは
「お前みたいな貧乏人が、どうやって借りたお金を返せるんだい。うちには貧乏人に貸す金はないよ」
と言って、相手にしてくれませんでした。旦那さんはがっかりして家に帰りました。すると奥さんは、
「そんなにがっかりしないで、今日もほら、お芋がちゃんとあるじゃないですか。元気を出して夕ごはんにしましょうよ、ね。」
と言って、にっこり笑いました。旦那さんはお芋を料理するために、かまどに火を入れました。そのとき旦那さんはうっかり、右手に小さな火傷をしてしまいました。でも旦那さんは奥さんの事が心配だったので、自分の火傷のことはすぐに忘れてしまいました。そのうちにお芋が煮えて夕飯ができたので、旦那さんは夕飯を持って奥さんのところへ行きました。

ところが、旦那さんが奥さんの寝ている部屋に入ると、薄暗い部屋の隅に、ぎすぎすとやせた気味の悪い大男が、手にカマを持って立っていました。大男はギョロリとした目で旦那さんを見て、それから大きな口でニタリと笑いました。旦那さんは背筋が冷たくなり、恐ろしさのあまり夕飯を足元に落としてしまいました。すると男は言いました。
「旦那さん、私は死神だ。あんたの奥さんを迎えに来た。」
旦那さんはそれを聞くと、がっくりと膝をつきました。そしてぶるぶると体をふるわせ、悔し涙を流しながら言いました。
「ああ、うちにお金さえあれば、医者に診せることもできたのに! うちにお金さえあれば、薬を買うこともできたのに! うちにお金さえあれば、こんなにみじめに死ぬこともなかったのに! おい死神! 妻を連れて行くのなら、俺も一緒に連れて行け! さあ、早く俺を殺せ!」
そして旦那さんは死神の手から無理矢理カマを奪い取り、泣き叫びながらぶんぶんとカマを振り回し走り回ったあげく、しまいにその鋭い刃を自分の胸に突き刺そうとしました。死神はあわてて旦那さんをおさえこみ、旦那さんの手からカマを取り返しました。そして言いました。
「おいおい、あわてるな。今まで私は何十万人もの命を迎えにこの世に来たが、お前みたいな奴に出くわしたのは初めてだ。いったい何があったのか、聞いてやるから言ってみろ。」
旦那さんは、大男の死神に押さえつけられて動けないまま、今までの事を話しました。死神は黙って聞いていました。そして全部聞き終わると、
「そうか、それは気の毒な事だったな。しかしすべては仕方のないことだ。俺にできるのは、これくらいだ。」
と言って、ふところから小さな手鏡を出して、旦那さんに渡しました。そして、
「女は鏡が好きだからな。これをお前にやるから、せめて死ぬ前の奥さんをなぐさめてやるがいい。迎えに来るのはもう少し後にしてやるよ。」
と言って、すっと消えてしまいました。旦那さんは、手鏡をのぞいてみました。手鏡には、旦那さんの顔が映っていました。貧しいこの家には鏡もありませんでしたから、旦那さんはただ、
「死神が鏡をくれたのだ」
と思いました。

奥さんは不思議なことに、今の騒ぎのあいだじゅう、ぐっすりと眠っていて、この部屋でおこった事をなんにも知りませんでした。そしてすっかり静かになってから目を覚ましました。旦那さんは奥さんに鏡を渡すと言いました。
「今、親切な人がお見舞いに来てくださってね。お前にこれをくださったんだよ。」
奥さんは鏡を受け取ると、
「まあ、嬉しいこと。」
と言って、さっそく鏡をのぞき込みました。すると奥さんはびっくりして、小さく悲鳴をあげました。旦那さんがどうしたのかとたずねると、奥さんは言いました。
「ねえ、あなた、私の顔はこんなだったかしら?」
旦那さんははっとしました。旦那さんは、奥さんが病気のせいですっかりやせて骸骨みたいになってしまった事を忘れていたのです。旦那さんは急いで奥さんの手から鏡を取り上げ、奥さんに鏡を見せてしまったことを後悔しました。しかし奥さんは残念そうに手を伸ばして言いました。
「もう一度、その鏡を見せてくださいな。私の顔がそんなに美しかったなんて今までちっとも気がつかなかったわ。」
旦那さんは驚いて奥さんの顔を見ましたが、奥さんの顔は今まで通り、やせて骸骨のようでした。旦那さんはおそるおそる、奥さんの手に鏡を渡してみました。奥さんは鏡を見ると、にっこり笑って、そして満足そうに言いました。
「嬉しいわ、私の顔、まるで世界一の美人のようだわ、ねえあなた?」
旦那さんは奥さんの後ろに回って、奥さんと一緒に、奥さんの映っている手鏡をのぞき込みました。しかし、手鏡に映っているのは、やっぱり骸骨みたいにやせた奥さんの顔でした。旦那さんにはまるで訳がわかりませんでした。しかし、いつまでもうっとりと鏡をのぞき込んで嬉しそうにしている奥さんを見ているうちに、気がつきました。
「ははあ、なるほど。あれはなにしろ、死神がくれた鏡だ。普通の鏡でなくても不思議じゃない。しかも死神は、奥さんをなぐさめてやれと言っていた。つまり、あの鏡を見ている妻には、自分の顔が世界一の美人に見えているのに違いない。」
旦那さんは奥さんを見ました。奥さんはいつまでも、具合の悪いのも忘れて、うっとりと嬉しそうに鏡をのぞき込んでいました。旦那さんは思いました。
「あんなに嬉しそうにしている妻を見るのは久しぶりだ。死神の言うように、せめて死ぬ前になぐさめてやることができたのかもしれない。」
そして旦那さんは、その日は少し落ち着いて床に就きました。

次の朝、旦那さんが起きてみると、驚いた事に、奥さんはまだ鏡を見てうっとりしていました。奥さんは言いました。
「私、ゆうべは月明かりでずいぶん遅くまで鏡を見ていたの、だって嬉しくて。そして今朝はとても早く目が覚めてしまったの、早く鏡を見たかったのよ。私とても気分がいいのよ、まるで病気が治ってしまったような気がするわ。」
そして、本当にすっと寝床から起き上がって、服を着替えて、歌を歌いながら家の掃除を始めました。そして時々鏡をのぞき込んでにっこりして、ますます元気に働くのでした。旦那さんはびっくりするやら嬉しいやらで、その日はたいそう張り切って仕事に出かけました。そして仕事先でこの不思議な出来事を、興奮しながら皆に話して聞かせました。それを聞いた人たちは、またそれぞれが別の人たちにこの不思議な出来事を話して聞かせました。そんなふうにしているうちに、ついに隣町までこの不思議な話が伝わりました。そしてそれは、隣町のお医者と、隣町の薬屋と、隣町で一番の金持ちの耳にも届いてしまったのです。

2008.02.04

  背景画像:フリー素材 * ヒバナ